あ・そ・ぼの会が始まったその経緯
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私が、発達支援を学ぶことになったきっかけ・・・
発達の途中で起こる、凸凹によって、発達障害と名付けられることがあります。
私がこの「発達」に興味を持ち、学び始めたきっかけは、教育キネシオロジー・ブレインジムの中級講座「ビジョン・サークル」でした。
その講座の講師だった、灰谷孝さんの話が強烈に印象に残ったからです。
娘が小学生の時に大きな交通事故にあい、ドクターヘリで搬送されるくらいの事故でした。
足の骨折と、内臓挫傷、クモ膜下出血の重症でした。
足の骨折は固定でしたが、脳の出血があったため、一筋縄ではいかない状況でした。
集中治療室を出て、一般病棟に移っても、「ごっくん」と自力で呑み込めない、喋ることもできない状態。
そこから、作業療法士さん、言語療法士さんの手厚いリハビリを受け、
「ごっくん」ができるようになり、「もぐもぐ、ごっくん」ができるようになり、まるで赤ちゃんから一つ一つやり直しているような日々でした。
ツルツルの飲むお粥から、三分がゆ、五分がゆ、七分がゆ、白飯と、その発達段階を二ヶ月でもう一度やり直しました。
言葉もはっきり発音できず、「あ、い、う、え、お」の発音を繰り返すリハビリを毎日繰り返し、行ってもらいました。
もちろん、手の機能も落ちてしまったので、ペンを握るところから始めて、字がかけるような状態ではありませんでした。
ずっと、そばに付き添ってあげられなかったので、全てはわかりませんが、小学生には屈辱的な訓練だったかもしれません。
それでも、丁寧なリハビリのおかげで、発音も、字を書くこともできるようになり、足の骨もギブス固定になり、二ヶ月で退院となりました。
その五か月後の運動会では、転びはしましたが、80メートルを走り切りゴールするまでに復活しました。
脳外的にも、IQ検査でも、脳には障害は残っていないと診断されました。
でも、何かが違うような違和感を感じました。
すぐにキレて、暴力をふるう頻度があがり、大事なものをどこかに置き忘れてきてしまう。階段をスタスタと降りられないようになったと、本人。体育が好きでよくリレーの選手にもなっていたのに、走ると過呼吸を起こしてしまうほど、運動能力が落ちました。
ビジョン・サークルの講座で、子供の発達段階の話をきくうちに、もしかして?と思って質問したら、事故などで発達が退行してしまうことがあるとのこと。
それを聞いて、娘に申し訳ないと思いました。彼女は彼女なりに精一杯頑張っているのに、体が反射的に動いたり、感情が反応していまっているだけなのに、「この子はどうして?こうなんだろう?」と思ってしまっていたからです。
発達を学んでいくうちに、「発達障害」という言葉が世の中の話題となって、本当のところとかけ離れているのではないか?と感じています。
「発達支援コーチ」では、「発達遊び」を通して、子供も、もちろん大人も発達していき、自分らしく生きていく支援を学んでいます。
そんな話を、ひょんなことで知り合った、あきえさんにしたら、ヨガのレッスンと遊びの会を一緒にしよう!!と話がまとまり、月一ですが、一年間続いてきました。
「あ・そ・ぼの会」では、本気で遊ぶことで、心と体にどんな変化があるか?発達凸凹に対してどんなアプローチができるか、について、実際に本気で遊んで、ちょっとお話も入れながら体験してもらっています。
お子さんの発達が気になる方、自分も発達の凸凹があるかもしれないと感じている大人の方、発達支援にかかわっている方、久しぶりに子供にかえって遊びたい方
一緒に遊びましょう。
二月の「あ・そ・ぼの会」の様子です。
次回は3月30日㈮に浜松で開催決定です。
春休み特別バージョンです、お子さんと一緒に遊びましょう。